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同志社交響楽団プラハ公演+30年ぶりのウィーン [#旅日記(海外)]

同志社交響楽団の海外公演で、プラハのドヴォルジャーク・ホール(チェコ・フィルの本拠地)で何とドヴォルジャークの「新世界より」を演奏するという、道場破りみたいなことをするはめになりました。 実は当初はプラハではなくフランスのモンペリエで行う予定だったのですが、オランド大統領に替わったら組織もトップが変わり、劇場の使用許可が下りなくなってしまったとのこと、急遽探しまわってプラハに変更となったのでした。

しかしそのプレッシャーたるや尋常ではありません。 青い目の歌舞伎団が歌舞伎座で勧進帳をやるようなもの、しかもあちらの方々はお義理の拍手などしてくれません。 ブーイングのみならずタマゴやトマトを投げられたらどうしようと、久しぶりにマジでびびりました。 しかし音楽は争いとは相容れない大きな普遍性を持ったもの。 私たちが「新世界より」が大好きでドヴォルジャークを心から敬愛していることをきちんと示せば、きっと心が通い合い気持ちは通じるだろうと信じて、年明けから4回の週末練習を重ねました。

記録的な大雪で乗り換えのフランクフルト空港が閉鎖され、関空からの学生たちは怪しい宿やユースホステルに泊まるというハプニングで始まった旅、私は今回はラッキーなことにほぼ問題も無くプラハに到着しました。
で、当日、現地のマネージメントの努力でドヴォルジャーク・ホールはほぼ満席(前日に聴いたチェコ・フィル定期よりもずっと埋まっていた!)。

そのとても真剣かつ暖かく聴いてくださるチェコの方々の前で、同志社交響楽団の学生たちと思い切り「新世界より」を歌い上げてきました。 チェコ語の言い回しになっていたか、チェコ風のリズムをうまく捉えていたかはわかりませんが、結果はまさに総立ちのスタンディングオベーションとなりました。 あんな光景、これから先に味わえるのだろうか? ステージ上の学生たちも涙涙でしたが、客席の方々も多くがハンカチを目に当てているのが見え、こんなに暖かい聴衆の方々と時間と空気を共有できたことの喜び、音楽の持つ力の凄さ、自分の演奏に対する姿勢など、色んなことが頭の中をごちゃごちゃ駆け巡りながら何度もカーテンコールを受けました。

プログラムは他に「ザンパ」序曲、「ペールギュント」組曲、アンコールとして昔のNHK大河ドラマ「花神」のテーマ曲(私の大好きな曲なのです)。 曲間、楽章間にも自然に拍手がわき上がるところがあって、それがちっとも邪魔になりませんでした。 時には私が振り向いて軽く答礼するまで続くこともありました。

指揮者控え室の四面の壁にはチェコ・フィルと縁のマエストロたちの自筆メッセージ入り写真がたくさん飾ってあり、彼らに見つめられているような気がしてそれはそれは緊張しました。 ノイマン、コシュラー、アンチェル、ターリヒはもちろん、フルトヴェングラー、クーベリック、マッケラス、アンセルメなどなど。 2004年以来私は2度目でしたが、あの部屋の凛とした空気はまさに背筋が自動的に伸びるようでした。

その後おまけの2日間のウィーン滞在はまさにオジサンのセンチメンタルジャーニー。
30年前に初めて外国の地に降り立ち最初の2ヶ月を過ごした家は、周りの雰囲気もちっとも変わっていませんでしたが、その後2年間住んだアパートは取り壊しを待つのかリニューアルされるのか暗くなっても明かりが点く窓がありませんでした。 日も暮れてみぞれが降る中見上げていたら、とっても寂しくなりました。 毎日のように通った近所のスーパーも無くなっていました。やっぱり30年は短くないですね。

新しい美術館もできていましたが、どうしてもブリューゲルだけは見たくて美術史博物館に入り、ブリューゲルの部屋に1時間以上いました。 
そうそう、残してきた銀行口座は銀行が合併して名前が変わったけれどちゃんと健在、最近の13年で10ユーロほど利子が付き、残高が500ユーロ弱ありました。 もちろんシリングの時代に作った口座です。これも感慨深かった。
地下鉄がやたら充実していたり Mariahilfer Strasse の路面電車が無くなったり、それでもウィーンはやっぱりウィーンでした。

ところで、チェコのビールはやっぱり世界一ですが、ウィーンのビールも方向性がちょっと違うけれどやっぱり懐かしい味、両方とも本当に美味しかったです。

2013年3月25日 小田野 宏之
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